「経済の重心」から分析:米国、中国、そしてベトナム
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経済の重心という言葉がある。経済力が地域的広がりをもって散在する場合、その経済数値から集約的に推定した中心地点のことを言う。すなわち、地域的広がりを国におく場合は、一国経済の重さの仮想的中心地点である。
米国では、1776年の建国当時は、経済の重心は東部ペンシルバニア州にあったが、西部開拓に沿って西進し、20世紀初頭に自動車産業の発展を契機に中 西部のイリノイ州あたりに重心が移ったと米国政府は推定している。20世紀後期には、カリフォルニア州を典型とするIT産業の進化に伴い、経済の重心は更 に西に移動し、建国後230年後の現時点では、ミズリー州あたりと推定されている。
経 済の重心という言葉においては、経済数値から割り出した現時点の仮想的中心地点に意味があるのではなく、過去の軌跡と将来の軌跡に意味が込められている。 今後、世界経済に占めるEU(欧州連合)のウェートの低下、中国・ASEAN(東南アジア諸国連合)・インドのウェイトの上昇を考慮すると、米国における 経済の重心は、交易・投資受入れ上の地政学的特性から大西洋側から太平洋側に重点を移行し、引続き西進するとみられる。
中国の場合、 経済の重心が推定されてきたかは寡聞である。これは、中国近代史において、地方政府・軍閥・植民地主義者が地域を分断し、地域産業の形成に力を保持してい たため、経済数値を国レベルで集約的に把握した経済の重心があまり意味を持たなかったからであろう。西洋の技術・設備が始めて導入された清朝末期において は、洋務運動の一環として、中央政府、地方政府、地方軍閥によって24の軍事工場が、上海、杭州、蘇州、南京、安徽、福州、天津、太原、西安、吉林、広 州、成都などに立地された。
また、鉱業会社が各鉱山近郊に、繊維会社が長江デルタや珠江デルタに、鉄道・船舶・電報会社が北京など主 要都市に立地された。こうした状況を踏まえ敢えて推計すると、清朝末期における経済の重心は長江デルタ下流にあって、1932年から旧満州国が存在した一 時期はやや北上した感がある。
しかし、1949年の新中国成立以降は、広東省を中心に南方地域に対する特殊政策や上海浦東開発政策な どが、周辺省を巻き込んだ形での連関的産業集積を深化させた。この結果、現時点の経済の重点は、長江デルタ下流より少し南に移行しているという。他方、こ れまで内陸地域においてインフラ開発が進められている割には、産業集積が沿岸地域にますます集中しているので、内陸省と沿岸省との格差は広がる一方であ る。今後、中国における経済の重点は、内陸に向かって西進するのか、FTA(自由貿易協定)を通じてASEAN方面に向かって南下するのかという二者択一 的オプションを仮においた場合、日本の経済専門家には後者を予想する人が多いようである。
ベ トナムは、南北に細長いうえに、いわば内陸がないに等しいので、経済の重心は中国よりも把握が容易である。1960年に開始した米国とのベトナム戦争以前 は、経済の重心はサンゴン(現、ホーチミン市)にあった。他方、当時のハノイは、農業を主体とし近代的工業は少なかった。このため、ベトナム戦争時の武 器・弾薬は、大半がソ連、東欧、中国からの軍事支援の賜物となった。
今なお、首都ハノイには地場資本の産業集積は、中国の中堅都市に 比べても乏しい。しかし、1986年に開始された刷新政策以降、ベトナム政府は矢継ぎ早に経済改革政策や対外開放政策を打ち出したことから、ホーチミン市 以外で後背地が比較的多いハノイとハイフォンを中心に外国の大型投資が集中し、外資資本の産業集積が形成されつつある。
このため、ベ トナム経済の重心は北上し、ベトナム中部のダナンあたりと推定されている。今後、ハノイ周辺の組立型外資企業は、中国華南地域に進出した裾野産業を担う外 資企業からの部材調達を拡大する方向にある。これを受けて、ベトナム経済の重点は、一層北上し、ベトナム北部と中国南部とが経済的連携を強め、将来、ハノ イ・華南経済圏の形成に向かう見通しである。
(執筆者:株式会社野村総合研究所・酒井仁司)
情報リンク:中国情報局
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